八月二十七日、ドクターギスラン美術館
朝、十時半頃に置き、朝食を採り、日記を書くはずがネットをしていた。やはりネットが使える環境にあると、如何しても繋いでしまうので困る。いや、使わなければ好いだけの事だが、そうはいかないのが世の常である。と云うか、意志が弱いので無理です。
昼食を取り、十四時過ぎにゲントへ向かう。今日は先生のお父さんが送ってくれた。毎回何とも申し訳無い気分になる。
今日訪れたのはドクターギスラン美術館(Museum Dr. Guislain Gent)である。このギスランと云う医者は精神科医らしく、恐らく精神疾患治療の開拓者だろう。精神病院の一部を使っており、内部は精神病院や治療の歴史に関する常設展と、其のとき行われていたGoran Djurovicの特別展、People On Showと云うタイトルで開催されていた特別展、其れともう一つBurland/Toylandと云うタイトルで開催されていた展示も有ったのだが、其れは時間の都合で見逃してしまった。とは云え、見たかったのはGoran Djurovicだけなので問題ない。ていうか、何て読むのか判んないよね。この人の名前。ゴラン・デゥロビック?
因みにこの日、写真は一枚も撮っていない。とは云え、美術館内が撮影禁止だったわけではない。とは云え、バッテリーの充電を忘れていた訳でもない。では何故か?簡単なことである。カメラを忘れたのだ。
我ながらわざわざ日を選んで忘れなくても、とは想う。まぁ、安穏とした環境で長く過ごした所為で、少し気が抜けてバカに磨きがかかったのだろう。
どのような画家であったかはこの恐らくオフィシャルなサイトを見て頂ければ判ると想う。このサイトに掲載されている作品の幾つかも見ることが出来た。
彼の作品は、印象として「何か欠けている」と云う気分になる。作品として何か欠けているのではない。絵の中の世界で、何かが欠けているのだ。其れは人間性であったり、感情であったりするかも知れない。ただ、具体的に説明するのが困難な、「何か」である。何処か夢の中の様な情景で、現実味が無い。全ての存在が、地に足が着いていない。不安定で、脆く、崩れそうである。シュールであるが、具体的にそれとも違う。気味が悪いと言えば気味が悪いが、嫌いではない。かなりの時間を費やして見る事が出来た。
精神病院内の美術館で特別展として行うには、かなり好い画家だと想った。
その後は常設展と”People On Show”を見る。常設展は古い時代の精神疾患に対する治療(と云うかは、どう云う扱いを受けていたか、に関してだが)と、近代に至るまでの流れを展示したものだった。
古い時代になると治療は治療ではなく、如何に患者を抑え付けるか、と云う事しか行われていない。何しろ人間の精神に関する部分だ、どうして昔の人間が、それらを理解する事が出来ようか。精神疾患の類は非常に難しい。それは現代に至っても同じ事で、解明されていない事が非常に多い。現代ですらそんな状態なのに、どうして昔の人間を責める事が出来るだろうか。とは云え、中々人間とは、残酷な事が出来る物だ。そんな事を想う。
"People On Show"は、西洋に於ける、東洋やアフリカ、世界各地の民族を題材にした見世物がどのように行われてきたか、と云った内容だった。歴史的だね、と想いながら、軽く見て回る。
それらを見終えて、外に出る。迎えが来るのを少し待ち、車で家に戻る。
家に戻ってからはまた日記を書いていた。夕飯を採った後も日記を書く。
夜は二十四時過ぎに寝た。