十月二十四日、スコットランド初感、グラスゴーの夜
朝、九時半頃に起き、荷物を纏め、一度街のカフェへ行き、ネットを使いながら朝食を取る。サンドイッチと、紅茶。
バスの時間に間に合うよう、早めにホステルへと戻り、荷物を取ってバスに乗り込む。
写真は特に関係ない。カフェまで行く道でぱちぱちと適当に撮ったものだ。
好く晴れている。
バスは湖畔沿いを進み、木々の合間を抜けて行く。前回バスに乗りアンブルサイドに来た時は、雨が降っていた。その所為で外の景色は殆ど見えなかったのだが、この日は幸いにして晴れていた。
道路の両端は紅や黄に染まった木々が並んでいて、美しい眺めだった。
ウィンダミアの駅に着き、スーパーで昼食にサンドイッチとクッキーを買い、電車に乗り込む。
グラスゴーまで向かう道程は、日記を書いていた。
暫くの間日記を書くことに集中して、ふと筆を止め、窓の外を眺めた。すると其処はもう既にイギリスでは無く、「スコットランド」が広がっていた。
霞がかかった山間部の合間を、電車は抜けていく。小高い丘の様な山々が幾つにも重なり、鎮座している。どの丘にも木々は無く、唯一面に緑の草が生えているだけだ。麓には小さな家々が並んでいる。其の周りには幾つかの木々が並び、小さな川が流れている。イングランドを北に上って行くと、景色は益々広大に、何処までも広がっていく。じわりじわりと、スコットランドへと姿を変えていく。広大な大地全体が、しっとりと濡れる。霧と小雨に包まれている。丸で雲の中に在るかの様に、空が低い。
何処に目をやっても、其処に在るのは丘と、霞んだような景色だけだった。雲に包まれた世界を、電車は唯ひたすらに真っ直ぐと進んでいく。
不意に、東の空に青空が広がった。大きな虹がアーチを描き、緑の大地へと到達する。光に照らされた白い雲と、青い空と、緑の大地。其の上に浮かぶ、鮮やかな虹。何だって神様は、雨上がりをこんなにも感動的に仕立て上げたのだろう。
虹の周りをぐるりと回るようにして、電車は少しだけ進路を変えた。雲の穴、晴れた方へと向かって行く。世界は急激なまでに鮮やかさを取り戻す。
空の色は少しだけ薄い。抜けるような青ではなく、静かに佇む水色だった。
大地の果て、遠くに雨雲が見える。その下は未だ霞んだ灰色をしている。斜めに、太陽の光が其の地を照らす。暗がりをぼんやりと縁取るようにして、遠くに虹が見えた。
また、電車は雲の中へと這入っていく。陽の光は、分厚い雲の向こうに隠れた。雲が本当に低い。果たして雲が低いのか、其れとも大地が高いのか。
なだらかな丘の連なる大地の上に、何処までも続いていく石壁が見える。大地のうねりにあわせて、なだらかな曲線を抱いて、遥か果てまで続いていた。水に濡れて深い緑色をした草地に、白い羊がぽつりぽつりと見える。遠すぎて、白い点のようにしか映らない。何匹かの鳥が、黒い影になって空を低く飛んでいる。空が低いこの大地では、高く飛ぶことも儘ならない様に見える。
何処かの駅に電車が止まる。古びた硝子の天蓋が、酷く汚れている。光が足りない物だから、何処か物憂げに映る。黄土色の壁に、汚れがこびりつき、くすんでいる。扉や窓枠は、淡いミントグリーンだった。
また電車が動き出す。雲が益々低くなった気さえする。僕はずうっと運ばれる。何処か、此れまでに見たことの無い場所へと。
痩せた木々の林を抜ける。辺り一面に広がる牧場を抜ける。送電線が、大地の果てに向かって延びている。其の終わりを見る前に、世界は掠れて消えてしまった。
森の中に、ぽつんと建つ豪華な屋敷が見えた。丘の端に建っていて、辺りを森に包まれて、霞みがかった霧の中に浮かんでいる。
痩せた木々の林を抜ける。辺り一面に広がる牧場を抜ける。送電線が、大地の果てに向かって延びている。其の終わりを見る前に、世界は掠れて、消えてしまった。
掠れ消え行く世界の果てに、向かっている様な心地がした。
自分が数分前にいた場所は、すぐに霞んで消えて行く。少し前まで見えていた山は、もう影も形も無い。
電車は唯ひたすらに進む。何処か、見た事の無い場所に向けて。
日が暮れだして、数の少ない街頭に照らされた小さな村が、この上ない程に美しかった。
僕はこの国のカテゴリを、その自然と文化の独自性を尊重し、United Kingdomの一員としてではなく、Scotlandとして扱いたいと想った。窓の外に広がっているのは、明らかに違う気候と風土を持った、一つの国だったからだ。そしてその国に住む人々も、スコットランド人であって、彼ら独自の文化文明を尊重している様に想えた。それらはとても好い事だと、僕は想う。
電車の窓から延々と広がる壮大な景色を眺めつつ、日記を書き進める。ふと顔を上げて、そこにある景色が美しいのは、素敵だ。
電車はグラスゴーに着く。もうすっかりと日は暮れてしまっていた。
雨がしとしとと降る中、ホステルまで歩いて行く。徒歩で四十分程。
丘だった場所に作られた街なのだろうか。登ったり下ったり、少し疲れる。なんとかホステルを見つけ、チェックインを済ませ、部屋に落ち着く。
ふと窓の外を見てみると、雲が非常に低いと感じた。
夜な上、窓越しの写真なのでいまいち伝わらないかも知れないが、異様な程に雲が低く、まるで屋根の直ぐ上を滑るように流れて行く。イギリスでも雲が低いなぁと想っていたのだが、其れとは比べ物にならない程、この国の雲は低い。
そんな事を想った後、腹が減ったので夕飯の準備をする事に。
キッチンへ向かい、パスタを作る。
その場に居た何人かと話をしているうちに、夕飯後飲みに行く運びとなった。確かイギリスの何処かで大学へ行っている留学生だったのだが、ドイツ人の女の子と、フランス人の男女各一名。
雨の中傘を差して、飲み屋街へと向かう。途中でもう数名と合流し、話をしながら歩く。途中参加した人々は、何処の国からだったか忘れてしまった。
泊まっているホステルの直ぐ近くに大学があるので、その一体は学生が多いらしい。バーへ這入ると、かなり混み合っていた。
適当な店を見つけ、ビールを何杯か呑む。ギネスが欲しかったが、品切れだった。
話をして、酒を飲む。こうして初対面の人々と酒を呑むのも、旅が始まってから何度目だろうか。色々な奴が色々な事をしていて、その話を聴くのが面白い。そう想うと、ヨーロッパ限定で一年間もの間一人で旅行している日本人としての僕は、そこそこ面白い部類に入るのかも知れない。
一期一会。もう出会うことの無い人々。今はまだ顔を想い出せても、きっとその内消えてしまう。でも、それでも無駄ではないのだろうと、そう想う。人と人との繋がりの、何処かに埋れた一点である。
夜は二十四時半頃に寝た。夏時間がこの日で終わった。